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35歳、普通のパート主婦だった私が起業したワケ

こんにちは!選ばれるサロン・教室を作るホームページ作成サービスのはざまみかです。

私がコンサル業を始めて1年、趣味教室講師になって2年になりました。

毎日、家事や育児、パートの仕事に追われて疲れてしまった

何のために毎日この仕事をしているのか分からない

未来に対しての夢とか楽しみとかは、実現できそうにない

理想とか、自由とか、非現実的でもう今の自分には関係ないと思っている

そんなあなたに伝えたい事があって、起業から2年目の区切りとして、この記事を書く事にしました。

私は32歳で結婚、33歳で第一子出産と共に専業主婦になり、36歳で第二子を出産しました。

20代を仕事中心に生きてきた都心で働く友達と比べると平均値だと思いますが、現在住んでいる横浜エリアでは、30代ママはおばさんの領域になるようです。

これは、私が子供を通じて地域交流をしないと子供がいじめにあうのではないかと心配して、親子サークルに入った頃に、そこのメンバーであるママに、「ちょっとおばさん!」って呼ばれたことがあって、いまだに根に持ってたりします。

目次

赤ちゃんを産んで急に芽生えた母性本能

自分が子供を産むまでは、親戚も含めて、子供に無縁の生活を送っていたので、子供の扱い方もよく分からず、苦手意識だけを抱いていました。

更に、15年近くも一人で自由気ままに生活してきたので、他人(夫)との同居生活に加えて、未知な赤ちゃんまで・・・!?となると、グッとハードルが高くなり、産む前は、こんな私が人間を育てられるのか?と不安や心配ばかりしていました。

でもそんな心配も、産まれたその日に無くなりました。

頑張って産んだ我が子は、誰よりも愛おしい存在に変わり、この子のために生きようと決めました。

そんな熱い想いもどこへやら・・・。

2年後には現実的なものに変わり、やっぱりお金は必要だよねとか、子育てだけじゃなく自分の時間も欲しいなど、色んな事を思うようになって・・・。

2年前までは近所のお弁当屋さんで働いていました

長女が2歳になった頃、子供を保育園に預けてパートの仕事を始めました。

最初は企業に派遣社員として勤めていたんですが、まだ免疫も低い2歳児だったので、感染症にかかる事や熱を出す事が多かったり、会社の方では残業をお願いされる事も多く、お迎え時間に間に合わないとか、朝早く夜遅いなど、時間の余裕がなくイライラする事が増えていき、子供を育てながらの会社勤務は難しいと早々に断念。

それから通勤時間の無駄を減らす為、近所の仕事を探したら、飲食店や販売の仕事ばかりで全然興味の無い仕事・・・・というか、もっと本音を言うと、絶対やりたくない仕事の分野でもあったのですが、子供が幼稚園に入るまでの我慢と思ったり、ママが多い職場の方が色々融通が利くしきっと働きやすいと思って、一番近所にあったお弁当屋さんに面接にいきました。

飲食店の経験は殆どなかったので、最初は覚えるのに必死でしたが、2ヶ月で全部の業務を覚えて、ミスも殆どなく、いつしか熟練の手慣れたお弁当屋さんに成長していました。

頑張らなくても仕事がこなせるようになったら、突然つまらなくなってしまったんです。

元々飽きっぽい性格で、何事も長続きしない事が私の最大の短所だと自覚しています。

何の拘束も制限もなく、本当に自由だった20代

ちょっとだけ昔に遡ります。

私の高校時代は、進学校だったにもかかわらず、バイトに明け暮れる毎日を過ごしていました。

お金が無かったわけでも、家が貧乏だったわけでもない。

ただ、『一生懸命働いたら沢山お給料がもらえる』という事が楽しくて働いていました。

学校の友達は、常に勉強か塾生活だったので、塾に一度も通った事がない私にとっては生活パターンも会話も殆ど合わず、いじめにあったわけでもないけど、特に仲のいい友達もいなかった高校時代でした。

もしかしたら、学校に友達があまりいなかったから、バイト先に『自分の居場所』を見つけていたのかもしれません。

偏差値70超えの進学校に入ったくらいだし、そこそこ勉強はできた方なのかもしれませんが、それも中学までの話。

高校に入ったら周りの競争率は、授業中50分放心状態になるほど高すぎて、ついていけない事が殆ど。

理数系は得意だったけど、文系は全くダメで、何のために全教科をくまなく均等に点をとっていかないといけないのか分からなくて、入学早々敗北宣言。

学校の勉強が嫌いになって、学校に行くのも嫌で、それでも何とか卒業できたという感じ。

だから大学進学なんて、全く頭の片隅にもない選択肢でした。

それから社会に出たけど、いくら頭のいい高校を出てても、高卒という部分で不採用となり、わりと格差社会を感じさせない営業職に落ち着くことに。

営業職は私には合っていたみたいで、やったらやった分だけ収入という結果になって見える事が楽しくて、夢中になるように働いていきました。

そんな中で突然、『留学したい!』という衝動的欲求にかられ、特に目的なく働いていたので貯金もそこそこあったので、更に必要な分を短期間で集中的に働いて、留学費用を貯めて渡米しました。

これが20歳の頃です。

問題は帰国後に突然現れた

5年の学生ビザが切れて、私は日本で仕事を探して働く道を選択する事にしました。

でも、高卒で2年だけ就職。

その後、5年に渡り海外で学生生活。(しかもただの語学学校)

特別な資格も、経験もない。

英語もかなり中途半端。

日常会話は問題なく喋れるけど、メールとか文章だと書けない、もしくはすごく時間がかかる。

ちゃんとした文法はあまり理解していない。

なんとなくTOEICを受けてみたけど、リスニングだけやけに高得点で、リーディングはひどい点数。

25歳の私には、社会人として、なんの価値も需要も無かったんです。

人生の転機

帰国してからやっと入れたのが派遣の営業。

そこで5年ぶりの会社員生活をスタートしたら、速攻でうつ病になりました。

しかも、障害等級は1級と一番重く、障害者手帳が発行されたくらいのかなりの強者。

仕事はおろか、生活も自分ひとりではままならない感じ。

自分ひとりでできないというのは、もうほんと24時間落ち込みすぎて、死にたい~!を連呼する毎日だったから。

この頃は毎日、「どうやったらこのつらい現実から逃れられるか」ばかりを考えていました。

でも、ある日突然、「ここままじゃだめだ!」って思い立って、真剣に自分と向き合う治療や現実を受け入れる事に専念して、2か月位で驚異の完全復活を遂げました。

うつ病期間はトータルで8か月位だったと思います。

初めてうつ病と診断された時は、病気の詳細については詳しくなかったものの、うつ病=精神的に弱いやつ!みたいなイメージで、本当にショックすぎて受け入れられなかったんですが、実は留学した人の殆どが『帰国うつ』というものになるそうでして。

私の場合も、まさにこの留学生あるあるだったわけです。

私の留学先は、ハワイ(ホノルル)でした。

素晴らしい気候と自然に囲まれて、のんびりとした空間、異国の楽しさ、理想の生活、憧れの英語、自己主張は強い方がいい!と言われる環境だったので、もうほんと自分らしく生きるってこういう事なのかって思う位、なんの我慢も苦痛も味わう事もなく、人間関係で落ち込んだり、傷つけられる事もなく過ごした数年間だったんです。

お金に余裕があった生活じゃなかったけど、日本にいた頃のように、流行のファッションやブランドを追いかける必要はなく、毎日みんなで集まって、安上がりですむBBQをそれぞれが住んでいるホテルでやって、お酒を飲んで楽しむといった感じ。

『帰国うつ』は、私がそれだけ海外生活を満喫し尽していたという事でもあるのかなと思っています。

でも、日本に住んで、日本で家族と生活して、日本で働く今でも、あれが人間の本来求める生き方なんじゃないかと時々思っていました。

海外だから、ハワイだから、自由が実現できたわけじゃない。

環境の力は借りたけども、私自身がどうしたいか、どうなりたいかで全ては変えられるんじゃないのかと思うんです。

それでも働かないと生きていけない

理想や憧れはあるけど、現実的にはやっぱり自由に楽しい事だけやって生きてはいけない。

学歴・社会経験の浅い私が、日本企業で働く事は、格差社会や学歴優位な人間関係を見せつけられて、本当に居心地が悪すぎて嫌でした。

でもそんな生活はたったの4ヶ月だけで、その頃、たまたま外資のIT企業に拾われたおかげで、仕事の楽しさを経験させてもらい、マーケティングとセールス、ITの基礎についてもゼロから手厚く学ばせてもらったんです。

朝から晩まで働きました。

男性の中に、女一人混ざって、とにかく誰よりも働きました。

この頃、学がない事が本当に身に染みた時期でもあります。

理由は言葉の理解と解釈が遅い事でした。

IT業界は、会話もなんだか小難しい事を言う人が沢山いて、英単語を日本語にがんがん混ぜて会話してくるので、頭が混乱してしまうんです。

「ミーティングの時間フィックスして、スケジュールアップデートしたからチェックしてコールバックして!」

「今日のミーティングのアジェンダ送って。それと、新規プロジェクトのSEやマーケのアサイン状況と全員のステータス確認してメールしておいて。こっちも後で確認してフィードバックするから」

社内でこんな感じだから、仕事の後の飲み会でも横文字オンパレード。

5年もいるとかなり私もかなり染まっていましたが、改めて独特な業界だなって感じでした。

あと、営業も含めて基本的にシステム系に強い人間が多いせいなのか、ロジカル思考の人が多く、会話がちょっと脱線すると、「あ、今話してる内容とさっきまでの内容の関連性はないよね?別の話?」みたいな感じで、会話の脱線は許されず、社内で会話するだけで相当頭を使わないとバカ扱いされたりしていました。

それもあって、社内には殆どいたくなかったので、お客さんの所にばかり行ってたおかげで、私の営業成績はどんどん上がっていったんですが。

30歳の壁

仕事は夢中になった分、しっかり結果も出して貢献してきました。

でも、おそらく多くの働く女性が迎えるであろう「30歳の壁」がやってきたんです。

結婚と出産、それともキャリアなのか?

会社にいる女性の管理職を見ると、全員独身の女性ばかり。

「例えお金に不自由はなくても、ああはなりたくない。」

だから30歳でこの最高の職場を去る事を決めました。

育ててもらった分は十分に売上で恩返ししたはず。

沢山学ばせてもらったけど、この会社で私が求めている働き方で、これ以上大きく学ぶことはないだろうという最後の2年を過ごしたので、なんの未練もなくあっさり1000万円の年収を手放す事にしました。

私にはなにができる?

私が理想とする生き方って何だろう?

私が理想と思う未来って何だろう?

ひまでひまで仕方なかった専業主婦時代、子育ての傍らで毎日すごく真剣に考えてました。

好きな事を仕事にして、自由に働きながら、せっかく手に入れた家族との時間を大切にして生きたい。

そんなのどうやって手に入れるのよ?

私にはなんにもない。

スキルも資格もなんにもない。

でも思い返せば、留学だって、IT企業に入った時だって、若かったし何となく勢いで飛び込んだけど、入る前は何も無かった。

英語も話せなかったし、知り合いだって1人もいない。

ITとか意味わからない業界だし、パソコンも持ってない私がITって・・・。

でも、その世界に飛び込んでみたら、いつの間にかその世界の住人になってたんです。

自分の可能性は自分にしか見つけられない。

行動を起こせるのは自分しかいない。

さいごに一言

もしあなたが現状に不満を抱いていて、何かを変えたいと思っていて、このままじゃ嫌だ!と思っているのなら、

メンタルを整えるとか、

資格がないとなにもできないとか、

自分探しとか、

頭とお金ばっかり使ってないで、何でもいいから、まずは1つでも多く行動を起こしてみたらいいと思います。

みんな元々何も持ってないんだし、マイナスではなくゼロからのスタートだから、大きな初期投資をしない働き方さえ選べば、失敗する事なんてまずないと思います。

成功の基準は人それぞれです。

月10万稼げればいいのか、数百万貯金ができればいいのか、会社を作りたいのか、有名になりたいのか。

私はまだまだ成長途中です。

この2年、寝る間を惜しんで、家族との時間を犠牲にして、夢中になって一生懸命働いてきました。

そして今、少しずつ理想の働き方と収入を確立しつつある、そんな状況です。

自分の働き方を選び、月の目標売上を決め、好きなお客さんとだけ仕事をしていく。

嫌いな仕事はしない。

無理な案件は受けない。

嫌いなお客さんは何も教えたくないから仕事も受けない。

わがままに聞こえるかもしれないけど、これを実現するために私は起業したんだから、これでいいと思っています。

教室講師としてこの2年間で600人以上集客してきました。

起業やWebコンサルタントとして、この1年間で22名のクライアントを継続サポートしてきました。

集客の悩みだってあります。

ビジネス拡大の悩みだってあります。

スキルや経験値の悩みも沢山あります。

でも、これから起業したい人や、起業したけどあまりうまく回せてない人達が直面している壁はいくつも乗り越えてきたので、仕事面も、精神的な部分も、経験者として伝えられる事はあると思います。

何かを変えたいと思っているけど、うまくできずに悩んでいるあなたに、

こんな何もない私でも、自由な働き方が手に入れられたんだよと言う事を伝えたくて書きました。

この記事がほんの少しだけでも、悩んでいる人の役に立ったり、誰かを勇気づけられたら嬉しいです。

Beyond the future ~まだ見えない未来のその先へ~

2018年10月 間 実夏

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