子育てに対する夫婦の価値観の違いにモヤっとした朝

今日は土曜日。
本当は朝から野球の練習だったけど、雨でお休み。

朝からSwitchをやり始める息子に、私が
「来月のテストに向けて今日は勉強しよう」と声をかけると、

横から夫が、
「どうせやったって無駄だし、勉強とか受験とか辞めろよ。
バット振れよ。プロ野球選手とか体動かす方が向いてるよ」と。

昨日も夜遅くまで一緒に問題を出し合って勉強したし、
息子なりに努力してるの、私は知ってる。

たしかに、勉強が大好きなわけじゃない。
特別頭がいいわけでもない。
友達とも遊びたいし、ゲームもしたい。
野球は、パパが喜ぶし楽しいからやってるし、プロ野球選手になれたらいいなとは思うけど、他のこともやってみたいし、今はよくわからないと言う。

将来の夢もまだない。
でも息子はこう言う。

「お姉ちゃんと同じ学校に行きたい。
勉強は嫌いじゃないし、いけるなら頭のいい学校行って
可能性だけでも広げたい。だから4年生で野球辞めて、受験のために頑張るんだ」って。

……でも、家族から見ても強い意欲があるわけじゃないから、結局口ばかりで、行動が続かないことがほとんど。

ここでね、いつも悩むわけなんです。

やる気を引き出してあげるのは親の役目なのか?

それとも夫のように、
「途中でやめるくらいなら、さっさと諦めて現実的な道を選べ」
と教えるべきなのか?

これが私たち夫婦の、子育てに対する価値観の違いだったりします。

可能性がない子なんていない

子どもが「やりたい」と言ったことに対して、
うちの夫の様に「可能性がないなら無駄だ、意味がない」と言い切ってしまうのは簡単。

でも、本当に「可能性がない子」なんているのか?

私はそうは思ってなくて、たとえ今は可能性がゼロに近くても、
“やってみたい”という気持ちそのものが、未来を動かす原動力になるから。

途中で辞めても、失敗して挫折しても、努力したこととその経験が消えるわけじゃない。

何も挑戦しなければ、安全な道しか知らないまま大人になっていくし、いつの間にか、きれいに舗装されたみんなが歩く道で、みんなの後ろをついていく方が賢い生き方だと思う様になる。

その”みんな”の中でいちばんになる事や、目立つことを考えることはあるかもしれない。

だけどそれがあなたのやりたかったこと?進みたい道?って聞かれた時や、その道の先頭まで進んだ時に、先に道がなかったら前に立つことを諦めて、みんなの後ろに並ぶの?

多分、これが私の原点

私も高卒で、特別なスキルも何もなかった20歳の頃、
「キャリアウーマンになりたい」と母に話したことがあります。

当時の私はただ、
都心のビル街をスーツで歩く自分を想像してワクワクしていただけ。
でも母はこう言いました。

「あなたは高卒だし無理よ。実家の店を手伝いなさい。」

それでもどうしても諦めきれず、
東京に出て派遣の仕事をしながら、チャンスをつかみました。

一部上場企業に採用され、
男性ばかりの営業部で、仲間もできず孤独な中でも、
地道に頑張り続けた結果、
トップセールスアワードを3回受賞できました。

私が信じていること

“夢”や“やりたいこと”は、
才能のある人のためにあるものじゃない。

望んで、行動したすべての人に、
未来は変わるチャンスが訪れる。

だから私は、子どもにもこう伝えたい。

「できる・できない」よりも、
「やりたい」と思える気持ちを大切にしてほしい。

やってみなければ、誰にも分からない。
結果よりも、“挑戦する経験”こそが、
その子の未来をつくるのではないでしょうか。

親の役割って、道を決めることではなく、
その子が自分の足で進もうとする時に、
背中を押したり、見守ったり、
時に寄り添ったりすることだと思っています。

子を持つ親には、いろんな考えや方針があっていい。
だけど私は、子どもの可能性を“判断する”親ではなく、
“信じて応援する”親でいたいと思います。

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