全ては未来に繋がっている

光が差す森林

私はいい母親にはなれない

子供が産まれて専業主婦となり、子育て中心の生活になった頃。

楽しいとか、幸せとか、そういう事を感じる瞬間はあまりなくて、ただただ夢中で日々の育児の課題に向き合いながら、良い母親、良い教育、良い子育てを目指して頑張っていました。

始めてみる新生児はかわいくて仕方なくて、『初めての瞬間』は1つも見逃したくなかったし、この世にこんなに愛おしい存在があるんだという事を教えてもらったのも「子供」という存在からでした。

1歳になって、一人で歩けるようになってくると行動範囲も広がり、一緒にお出掛けしたり、健康や将来の為にスイミングや英語などの習い事を始めてみたり、絵本を沢山読んだり、自然にも沢山触れさせて、食にもこだわったり、規則正しい生活を心がけて、丁寧な子育てをしていました。

2歳になると、できる事が増えていくと共に、自我や強い意思表示も出てきて、準備だけでもすごく時間がかかるし、日々忍耐との闘い。時間に追われることで、私自身の余裕もなくなり、初めのうちは本人の「やりたい」という思いを尊重して、待ったり、やる気にさせたりしてみるけど、そのうちふざけて時間が無くなってくるとイライラも増大。日常化してる出来事に対して、またかという思いが先行しちゃって、優しく誘導してあげる余裕も無くなってしまう。

生まれて間もない赤ちゃんは1人で何もできないからお世話という部分がメインだったけど、少しずつできる事が増えて自我が出てくるあたりから本当の子育てが始まったんだと思います。

そんな毎日に、楽しさよりもストレスの方が大きくなってきて、ふと気付いた事。

「最近、笑ってないな・・」

子供が嫌いになったわけじゃない。でも心から楽しめない。

しつけという大事な時期が始まって、年齢や周りを意識する事も多くなり、自然と注意する事が多くなってきて、あれダメ、これはこう、なんで何回言ってもできないの?って、いつしか1日の中で怒る時間ばかりが増えて、子供が泣く時間が増えていったんです。

楽しかった子供との時間、私が守っていくと決めたあの頃の意志が崩れていきました。

私が子供の為と思ってやっていた事は、私のエゴが大半で、子供はその期待に応えようと子供なりに一生懸命頑張っていました。

「このままでは、子供の可能性や未来を潰してしまう。」

母親失格だな・・・。私は子供に何を教えたかったんだろうか。

頭の良い子や、礼儀正しいお利口さんに育ってほしかったわけではない。

ただ健康で、まっすぐに、人に対して思いやりがあって、自分に自信を持ち、そして行動できる子に育ってほしいなって思ってただけなのに。

それからいっぱいいっぱい悩んで、出した答えは「子育て中心の生活を辞める事」でした。

24時間子供と向き合い続ける事だけが母親としてできる事じゃない。

子供は私の分身ではないのに、私は子供に対して母親という絶対的信頼の特権を使って従わせようとしているんじゃないかな?って。だからこそ私は私の人生を生きなければいけないって思ったんです。

何かしたい。けど何から始めたらいいかも分からない。

仕事を辞めて3年。ブランクが長すぎて社会復帰する自信もない。

子供もまだ小さいし、せめて幼稚園に入るまでは・・・と思って、専業主婦のうちに就職に役立ちそうな資格でも取ろうかと勉強を始めてみたり。

手探りで夢中になれるものを探してみたり、何か始めてみたり。

でも、続かない、いまいちやる気が起きない。自信もない。

その間、子育てに向き合えない自分に対するストレスは何も変わらなくて、欲しい物を買ったって、リフレッシュする時間をもらったって、お酒を飲んだって、根本的なものは何一つ解決しなくて。

「母親でいる以外の時間を作ろう」

まだ2歳の子供を預けて仕事に行く事に、家族からの反感もありました。

でも少し距離を置かないと、私と子供のどちらの為にもならないからと周りの意見を聞き入れず高額な認可外保育園に入園。

子育てに専念していた2年のブランクは、私のやる気と自信までも奪っていたんだけど、働かなければ子供の保育園代の支払いが家計に上乗せされるだけ。

そこで、まずは週3日だけ働く仕事を選び、扶養範囲内の収入を目指して仕事が始まりました。

仕事の日は、6時に起きてお弁当を作り、電車で子供を保育園に連れていき18時まで仕事。終わったら駅まで走り、満員電車に乗ってお迎えに行き、夜ご飯支度。

初めのうちは段取りも要領も悪く、夜ご飯が19時半頃になって、子供はお腹もすいてるし、やっとママと会えたのに遊んでもらえない、構ってもらえないで大騒ぎ。

平日2日は自分の時間。でも、そんな日に狙ったように子供が熱を出したり、嘔吐したりで、保育園はお休みして病院や看病で終わるといった感じ。

そして2歳で免疫があまりなかった事もあり、保育園で突発性発疹、手足口病に感染、そして数日間の自宅療養。

吐き続ける2歳の小さい背中をさすりながら、保育園に行かなければ感染しなかったのにとか、仕事を休んで迷惑をかけてしまったという気持ちで自分を責めたし、色んな思いや葛藤がありました。

休み明けの職場で、「誰か見てもらえる人はいないの?」と言われて、その場でそこの会社を辞めることを決めました。

子育てしながら働く事の難しさを痛感

社会復帰、最初の会社は1か月未満という本当に短い期間でしたが、少しだけ働く感覚を取り戻した事で、仕事に対する抵抗はなくなったんですが、やっぱり子供の突然の病気や、親子の時間の確保を考えると、同じような子育て中のママが働いていたり、いつ辞めても大丈夫な職場しか選べなくなりました。

そうして選んだ近所のパートだったけど、仕事はやっぱり居心地がいい。

みんなママだから会話や悩みも共通していて、みんな話しやすくて、子供の都合で急な休みが必要だったりすると、助け合う事もできて、主婦やママにはパートが一番働きやすい環境なんだなと感じました。

そうして毎日があっという間に過ぎていきました。

子供もだいぶ免疫がついて風邪一つひかない位健康になり、保育園ではお友達も沢山できて、毎日楽しそう。

私も居心地の良い職場で、仕事も慣れて、時間も9時~14時の時短で程よく働けて、程よい収入が得られるようになりました。

私が子供を預けて働く事で得たい事は全て手に入りました。

自分の時間、自由なお金、子供との程よい距離、心のゆとり。

それなのに、なにか物足りない・・・。

24時間の子育てと向き合えない私が欲しかったモノは手に入ったはずなのに、なぜか物足りなさを感じる。

私は何をしたいんだろう?何を求めているんだろう?もう一度自分と向き合いました。そして1つの答えに辿り着きました。

『手に入ったものは表面的なもので、内面を満たす本質的なものではなかった』

自分の時間ができても、好きな事もやりたい事もよく分からない。

もしかしたら分からないというよりは、子育てしながらだと出来ないという自分への言い訳やブレーキをかけていたのかもしれないのですが。

そんな気持ちの中で、2人目の妊娠。

結局、パート生活は半年も働くことなく終了したのですが、その後も自分探しは続きました。

『4か月間の自分と向き合う時間』

2人目の妊娠が分かって半年くらいで、切迫流産→切迫早産と診断され、それから出産まで絶対安静の生活を余儀なくされたんです。

この絶対安静という内容がまた辛くて・・・。

何がつらいって、元気なのに立ち上がったり、歩いちゃいけない生活をしなければならないんです。上半身だけ起き上がるのもダメ。つまり完全寝たきり生活というわけ。しかもテレビすらない病室でネットも禁止。

切迫流産と診断されて入院が決定した時は涙が止まりませんでした。

「なんで私だけ・・・」

子供や家族と離れる事への寂しさ、無事に産めるのかという不安、ある日突然、今日から何もしなくていいよと言われてどうしたらいいのかという戸惑いから、ぼーっとしてると涙しか出てこない。

みんなどうしてるかな?

ちゃんとご飯食べてるかな?

家事とか大変だろうな・・・。

喧嘩しないで仲良くやってるかな?

みんなに迷惑かけちゃって申し訳ないな・・・。

しかし、そんな思いも入院して3日位で無くなりました。

よくよく考えたら人生の中で、「何もしなくていいよ!」という時間をもらったのは生まれて初めて。

私は不自由と引き換えに、働かなくても、ご飯を作らなくても、掃除もしなくても、誰にも文句も言われない状況を手に入れたんです。

これは赤ちゃんが私にくれたチャンスの時間なんだって。

それから4か月続く安静生活の中で、私は自分と向き合い、沢山の本を読み、過去を振り返り、自分自身を見定め、これから先の長い人生を私はどうやって生きていくかをひたすら考えました。

日々の生活があると、どうしても人は立ち止まる時間がもったいないとさえ感じてしまったり、何か動いている方が充実した日々を過ごせている気になったり。

でも自分と向き合うって大事だなって、この時、改めて思いました。

自分自身と向き合って出した一つの結論。

子供や家族と離れて過ごす入院生活は本当に寂しかったんです。

24時間向き合えなかったくせに、いざ離れてみると会いたくて仕方ない。

時間は沢山ある。

今のこの状況なら子供と沢山向き合えるのに、一緒に生活していると向き合えないのはなんでなんだろう?

自分の時間が欲しかったから働いて、母としての時間と自分だけの時間を手に入れたのに何か腑に落ちなかったのはなんでなんだろう?

その答えは、好きな事をしていないからという事に気付きました。

私にとって子育ては好きな事、やりたい事とは違う気がします。

もし子供が大好きだったらそういう仕事を選んでいたはず。

でも私は全く違う仕事や環境を選んで生きてきました。

そしてパートという仕事に対しても凄く甘い考えで選んで働いていた事に気付きました。

子供との距離を置くために、どんな仕事でもいいからストレスなく両立できるような職場で働きたいと思って選んだんです。

好きな仕事でもなければ、やりたい仕事でもない。

つまり、パートしながら子育てしている「私」は、好きな事もやりたい事も何一つ出来ていない自分で、そんな自分にいつの間にか自信も持てなくなって、日々に楽しみを感じられなくなったんです。

殆どの大人は1日の大半を仕事の時間で過ごします。

もし、その大半を占める仕事の時間が、辛い、苦痛、楽しくない、ストレスが溜まる、面白くないという時間なら、人生の大半の時間を不幸に送っている事になります。

そんな生活を数か月も過ごしていた事に気付きました。だから自分の時間が確保できても充実感が感じられなかったんです。

私にとって仕事は生きがいです。

素の私は引っ込み思案で、面倒くさがりで、人見知りもすごくて、1人の時間が大好き。

でも営業という仕事を好きになったのは、仕事という名目で別人に変われるから。

本当はもっと人と関わりたい、繋がりたい、誰かの役に立ちたい。

でも自分から上手に人の輪に入っていけない。でも何か売るものがあるという前提が私を行動させてくれます。人と繋がれるキッカケや勇気をもらいます。そして沢山の人に喜ばれることで貢献感や達成感が得られます。

そして好きな事で対価を得るという事は、自信に繋がったり、自分の価値を感じる事ができる唯一の方法だと思っています。

だから「仕事」は、自分の成長や将来に結びついていかないといけない物。

そんな簡単な事が見えなくなるくらい、子育ては本当に大変なんだなと改めて思います。

好きな仕事でしっかり対価を得る事ができて、周りにいる人を幸せにできれば、自分自身の心が満たされて幸福感を感じ、更には子供にもしっかり愛情が注げるという一連の流れが成立するんです。

ずっと自由に生きてきて、ある日母となった私が子供という宝物と引き換えに失った自分の時間。

子育てとは自己犠牲の上に成り立つ女性の最大の使命なのかな?と思っていました。

でもそれが単なる被害妄想だという事に気付き、「母として生きる楽しみ方」を知らなかっただけなんだと気付きました。

女性は結婚や出産によって、色んなものを失うのではなく、「女性としての幸せを全て手に入れる事が出来る」

今はそう思えるようになりました。

子育て真っ最中でストレスを抱えているママ。

それなりに楽しく毎日を過ごしているけど未来が見えないと思っているママ。

やりたい事はあるけど、立ち止まってるママ。

いつかなにか・・・と思っているけど動けないママ。

少し前の私のように将来への不安を抱えているママ。

10年後も20年後も、いつだって「今が一番最高の瞬間」だと言えるために

今日からあなたらしい生き方を始めてみませんか?

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